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教育者は"神"じゃない-保育で紡ぐ児童福祉への道-

eyecatch

ひかりさん

Miraiam編集長のりらです。

生徒による教育づくりの可能性を信じ続けるメディアコミュニティとして、教育に関わる全ての人を発信によって応援したいという想いで始まったMiraiam。最初の足がかりとして、教育を志す学生を信じて応援する企画【miraiam reco】を始動します。

教育へのワクワク感、教育の未来を創り出す新しいアイデア。それらが明日の世界をちょっと面白くする。そんな場所を目指して、教育を志す学生の声をrecordするのがこの企画。

第一回は、子どもとの関わり方を保育の現場から学びながら、児童福祉士を目指しているひかりさん。
子どもが好き!という想いを強く持つひかりさんと、子どもを取り巻く環境や子育ての当たり前について対話してきました。

ひかりさん

私たちが見れる子どもの一面って、氷山の一角でしかないわけじゃん?

Lyra(りら)
ひかりさん、今日はよろしく。
インタビューといえども、それらしくやるつもりはないので、1on1のつもりでざっくばらんに話せたらと思います。

Lyra(りら)
今興味を持っている教育は、一言で表すとなんだろう?

ひかり
一言で表すと「幼児教育」。
普段は「保育補助」として保育園に関わっています。

Lyra(りら)
保育といえば、保育士さんのことを思い浮かべるけど、保育士と保育補助の立場はどのように違うのだろう。

ひかり
クラス全体を統括する保育士さんに対して、保育士さんの目の届かない子どもたちをみる仕事が保育補助。
例えば、お散歩中に7人と3人のグループがあったとしたら、保育士さんは7人の方をみて、保育補助では3人の方をみる、みたいな。

Lyra(りら)
保育補助の仕事、面白いね。どうして保育園に関わろうと思ったのだろう?

ひかり
弟と妹がいて、お世話するのが好きだった。それでかちっちゃい子が好きで。小学生の頃から漠然と、保育士になりたいな〜と思ってた。
想いの通りに、大きくなったら保育所の仕事をしだして、保育観や幼児教育という言葉にも興味を持ちだしたな。

 

 

Lyra(りら)
保育所で仕事をしようと思うまでにどのような過程を踏んできたのか、また仕事をどこで見つけたのか、ということが今気になってる。

ひかり
幼児教育の他に、児童福祉にも興味を持っていて。将来は児童福祉の道に進もうと思っているから、その足場がけとして子どものことを知れたらいいよね!と高校2年生の時に思って、子どもに関われる活動を始めた。

ひかり
当初は、子ども食堂のボランティアを始めたけれど、頻度は多くて月1回。
月1回で知れる子どもの一面って、氷山の一角でしかないわけじゃん?
それよりもっと子どものことを知りたい!と思って。日常的に子どもに接するもので、かつ自分が好きな分野が、保育園だったから、働こうって思ったんだよね。

「児童福祉士は"神"じゃない」

Lyra(りら)
“児童福祉への足場がけ”という言葉があったけど、将来進む道として興味を持っているのが保育でなく児童福祉なのはどうしてなのだろう?

ひかり
根底は”子どもと関わりたい”なんだけど。進路を考える上で、人のことを支えるのが好きっていう想いが自分の中に現れてるなって思って。
子どもに触れることができる、人のことを支えることができる、そして子どもを持つ親御さんとも関わることができる。私にとってプラスな要素がたくさんある。
でも、児童福祉の労働環境はあまり良くない。プラスもマイナスも要素がたくさんある中で、自分に何がどこまでできるんだろうと思ったのが、興味の始まりかな。

Lyra(りら)
”関わる人が多い”ということが、児童福祉の特徴かなと思うんだけど。
子どもだけでなく周りにいる大人にも関わって、関われる範囲を大きくしていくことがひかりさんにとって重要なのかもしれないと思ったのだけれど、それについてはどうだろう?

ひかり
それは本当にそうだと思う。例えば今、保育補助をしているけれど、勤務時間中に親御さんと関われないのがすごくもったいないなと思ってる。
関わりがあれば、親御さんから子どもの状況を聞くこともできるし、親御さんから何か感じることもあるかもしれない。
子どもの環境や発達に一番触れてるのはきっと親だと思うから、子どもをもっと知るためにも、関われる人を増やしていくのはすごく大事なことだと感じるな。

Lyra(りら)
限りなく子どもが中心にいるけど、その子どもを保育とか福祉からの一面だけで見ようとしないで、多面的に見ようとするところに”子どもと関わりたいと”いう想いの根強さを感じる。

 

Lyra(りら)
児童福祉の足場がけとして保育に関わっているという話があったけれど、今やっている保育補助の仕事は、将来関わっていきたい児童福祉という領域にどう繋がっていくのだろう?

ひかり
児童福祉とはいえ、子どもと関わってはいるから。子どもと関わる基礎を築いてるイメージがある。それで、保育者も子どもに養育しようとしてるわけじゃん。養育するときの姿勢とかあり方っていうのは、親とはちょっと違うけどそれもそれでまた大事なことだと思ってて。自分が保育を経験して児童福祉士になることによって「児童福祉士なんだけど、親とは違う養育ができるような人」になりたいなと思ってる。 

Lyra(りら)
“養育”という言葉が出てきて気になったんだけど。ひかりさんがイメージする「児童福祉」ってなんだろう?

ひかり
児童福祉という制度の中で人と関わることで、子どもの周りの環境でのマイナスや0をプラスに持っていけるもの。それを維持できるものが児童福祉だと思ってる。

Lyra(りら)
ありがとう。それを踏まえた上で、子どもたちとはどう関わりたいだろう?

ひかり
子どもやその親と、同じ目線でみれたらいいなとすごく思う。
子どもの現状をプラスに持っていて、それを維持させる存在ではあるんだけど、児童福祉士は「神」じゃない。
親御さんの話や子どもの状態を両者と同じ目線を持ちつつ、ある一定受け入れたい。その上で関わった時にプラスに感じるような関わり方をしていきたいなと思う。

Lyra(りら)
「圧倒的なプラス」に持っていく神ではないにしろ「0に近いプラス1を目指す」のが同じ目線に立って関わるということなのかな。
親御さんや、子どもたちの視点の中に混ざって、視野角を少しだけ広げる追加パーツのような存在であり、”ピカピカの新しい道具”では無いのだろうなと、話を聞いてて感じた。

ひかり
0に近いプラス1めっちゃそう!って思った。
その親御さんのまま、その子どもたちのままで、ちょっとプラスになるぐらい。劇的なプラスによって変化が起きると、親御さんや子どもたちの存在が歪んでしまうような感じがするな。

ひかり
「児童福祉が絶対的な正義」みたいになっちゃうのが私は嫌なんだと思う。

子育てをしていることが社会の当たり前になると、児童福祉は減るのかな。

Lyra(りら)
児童福祉を志すひかりさんは、未来にどのような世界を描いているのだろう。

ひかり
「自分たちがいるから、児童福祉がこれ以上広がらない世界」がいいなと思う。
児童福祉って、困ってる人のためにあるわけじゃん。極論、それで困ってる人がいなかったら、児童福祉なんて存在しないわけで。それに全頼りしなきゃいけない環境の人が少なくなればいいな。

ひかり
そして、誰かに何かをぶつけることを体験して育って欲しいし、それを通じて「頼ることができる」人になってほしい。
自分が困った時に、誰かを頼れる。その原体験が、児童福祉である。みたいな世界にもなったらいいな...と思う。

 

Lyra(りら)
児童福祉がこれ以上広がらない世界って”究極”だね。どうやったらそんな世界を作れるかな。

ひかり
子育てをしている人が当たり前にいる社会であってほしい。今は”子育てをしているから”業務時間が短縮されてる。みたいな感じになってるじゃん。働き方でいうと。
(子育てをしている人が)当たり前にいるとなったら、時短した働き方も普通の選択肢としてあって、マイナスのようにはならないじゃん?
駅に階段で上がれない車いすユーザーがいっぱい声を上げて、エレベーターが当たり前にある選択肢となったように、子育てをしていることが当たり前に、もっと社会に溶け込んでいくと、児童福祉は減るのかなと。

Lyra(りら)
教育や養育というものが、地域の福祉施設や保育園幼稚園、そして学校に”移管”されてるから「子育てをしている人が当たり前にいない社会」が存在してしまうんだろうなと思う。逆に、親が常に教育をすることが当たり前じゃない。

Lyra(りら)
「教育は学校教育の中で行われるものだ」だし、「保育は保育園の中で行われるものだ」だし。子どもたちや保育、教育が一部の施設に隔離されているなあと感じる。
隔離できる施設と、子どもと関わるプロフェッショナルとなる資格ができちゃったから、「プロフェッショナルしか関われない」みたいな風潮がどこかある。子供と関わらない が専門職以外の人にとっては当たり前になっているのかもしれないね。

ひかり
もっと子どもとか、その子どもを持つ親とか、その状況とかが社会と繋がれればいいよね。

Lyra(りら)
子育てが家庭の中だけで行われるのは、ごく自然なことなのかもしれないけどね。
もしかして「核家族化してるから地域とのつながりがない」のかな。

ひかり
親にしろ子どもにしろ、核家族でしか育ったことない人が多いじゃん、今。それが当たり前になってるから、人との関わりも薄いというか。たくさんあるわけではないと思うし。
それに「下手に人と関わらないことが安全策である」みたいな思想を現代社会を生きる多くの人に感じる。

Lyra(りら)
振り返ってみると、俺にもそういう思想めちゃくちゃある。
人と関わらない方が安全だって思っちゃうのは何でなんだろうな...?

ひかり
今より昔の方が「子どもにおせっかいしてもいい」みたいな風潮があったんだと思う。今は子どもに対して何かしたらさ、関わりが人の目にさらされるだけじゃなくて...

Lyra(りら)
コンプラが...。

ひかり
そう、普通に犯罪になる可能性あるじゃん。それも考慮すると、関わるリスクを取らない人が増えたっていうのはあると思う。

Lyra(りら)
コンプライアンス規制が人と人との繋がりを絶っているのかもしれない...。怖い...。

新しいものに対して、よほど悪だと思わない限り順応したい。

Lyra(りら)
ひかりさんは、保育、そして児童福祉というものを通じて、どんな人生を歩んでいたいだろう。

ひかり
教育の世界にいたいって思ったら、教育する側として意識することが大半だと思うんだけど。逆に、私も教育を通じて学びたいし、お互いに育てあうことをしたいと思う。

 

Lyra(りら)
どうして、”育て合う”がひかりさんのキーワードになったのだろう?

ひかり
時代は変わっていくわけで、どんどん新しい価値観や考え方が生まれてくる。
それに適用するかしないかは、新しいものを受け入れる姿勢を持てるどうかで変わると思ってるんだよね。

ひかり
私は新しいものに対して、よほど悪だと思わない限り適応したいし、順応したいなって思う。その練習が、私にとっては教育に関わること。新しい学びをどう自分に取り入れるか、という意味でね。

ひかり
それに「自分が教えたものを年が全然違う人が受け入れてくれること」って、子どもからしたら結構な成功体験だなと思ってて。それもまた教育になり得るなとも思っているから、高め合いたい想いが出てくるのかも。

Lyra(りら)
自分を変えようとすること、学び続けようとすること。
学生っきりでそれを終わらせようとしない姿勢こそ、これからの教育に必要な共創の考え方なのかもしれないね。

Lyra(りら)
そしてきっと今の考え方は、ひかりさんが今学生として教育のことを考えているからこそなんだろうな。とも感じた。ひかりさんならではの視点に、自分はすごく可能性を感じている。


編集後記

Miraiamの記事は「対話の記録」でもあります。私は読者である皆さんの代弁者としてではなく、1人の人間「りら」として自我を出しまくっていたと思います。

ライター、読者、インタビュイーなどの立場に関係なく、あらゆる視点で教育を見つめ直し、明日への一歩を紡ぎ出すことがきっとMiraiamが存在する1つの意味。

僕は記事で自我を出し続け、教育をもっと豊かに、もっと面白くするための対話を諦めないでおこうと思います。

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ライター: lyra(りら)
編集長。香川県に移住体験中の猫好き。
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