こんにちは。Miraiam編集長のりらです。
今回は、不登校及び強迫性障害の当事者として「当事者談」を集めるWebサイトを運営されている「ゆきさん」とMiraiamメンバーで、学校に行かなくなった時の「人生終わり感」について、対話してきました。
不登校は人生の終わりではない。だから希望を持っていこう!という話ではなく、終わり感の正体を当事者なりに紐解いていきます。「柔らかく寛解に向かっていける穏やかな光」とも形容できるような素敵な座談会をぜひ、最後までご覧になっていってください。
スピーカー
Lyra(りら)/Miraiam編集長
中学3年間の不登校を経てS高等学校に進学。在学中に恩師の影響で教育に興味を持ち、教育メディアMiraiamを立ち上げる。
ゆき/学生団体あまやどり代表
学生団体あまやどりの代表。中学のときに起立性調節障害になり、不登校に。通信制高校に進学するも、強迫症障害を発症。現在は大学を休学中。
アメーバ/Miraiamメンバー
小学校から不登校。通信制高校に進学。大学に進学後Miraiamに所属。現在は大学生。
「人生の終わり」と感じてしまう理由
りら:今日は「不登校はなぜ“人生の終わり”と感じてしまうのか?」という問いを、みんなの経験から紐解いていきたいです。この「終わり感」の正体について、仮説はありますか?
ゆき:小・中・高と学校に通って、大学か専門学校に行くか、就職するか…というのが「普通」として成り立っているからかな、と漠然と思います。特に日本人は群れたがるというか、大多数と同じでいることに安心感を覚える傾向があると思うんです。人間だから当たり前かもしれないですけど。そのマジョリティから外れてしまった、というだけで、ものすごい不安に陥ってしまうんじゃないでしょうか。
りら:「その子にとっての普通」から外れてしまうことへの危機感、マジョリティから逸脱してしまうことへの不安感は確かにありそう。僕も事前に少し考えたんですが、「学校以外にその子の居場所がない」と、終わりになり得るんじゃないかと思っていて。
僕自身の経験を振り返ると、学校の授業は出ていなかったけれど、テニスはずっと好きでテニス部だけには行ってたんです。当時、批判はありましたけど、その「テニス部」という居場所があったから、終わり感を感じずに過ごせたのかな、という感触があります。ゆきさんは、当事者だった時に「終わり感」って感じてました?
ゆき:ものすごく感じてました。もともとは、成績が良い方だったんです。でも、病気がきっかけで学校に行けなくなって、勉強そのものができなくなってしまって。その「勉強ができない自分」がすごく嫌で…。完璧主義からくる強迫観念というか、そういう「終わり感」はありましたね。「勉強ができる自分」じゃない、っていう。
“居場所”で言うと、部活では若干いじめられていたし、クラスでも友達とあまりうまくいってなくて…。確かに、学校に私の居場所はなかったですね。本当に家しかなくて。どこかに別の居場所があれば、もう少し終わり感は薄れていたのかもしれないです。
りら:その当時感じていた「終わり感」って、具体的にどんなものでしたか?
ゆき:心境で言うと、本当に「これからどうなるんだろう」っていう、将来に対する不安が一番大きかったです。学校に行くのが「普通」なら、行けない自分はその普通から外れるわけで、将来どうしていいか分からない。高校進学もどうなるか分からないし…。その不安が、すごく大きかったですね。
りら:将来への不安、分かります。小中学生にとって「普通じゃない生き方」のロールモデルが、あまりに少なすぎるのはありますよね。学校という巨大なマジョリティの中にいると、なおさら強く感じる。
ゆき:「普通って何?」って話ではあるんですけどね。
りら:そうなんですよね〜。でも一般的に、良い会社に就職して、家庭を持って、家と車を持って…みたいな「人生のテンプレート」が「普通」として語られがちで、それ以外の生き方にスポットライトが当たりづらい。最近は変わってきたかもしれないけど、その「普通」の根強さには、なかなか勝てないのかもしれない。
親の心の余裕、子の心の余裕
ゆき:でも、だからと言って「学校に行かなくてもいいよ」とは、安易に言えない部分もあって…。難しいですよね。
りら:これは大きなテーマですよね。「学校に行かなくてもいいよと安易には言えない」。親からの声かけも、これに繋がってくる気がします。僕は最初、特に父親にめちゃくちゃキレられたんですけど、それでも断固として学校に行かない意志を貫いていたら、だんだん理解を示してくれるようになって。
ゆき:うちは…だいぶ放任主義だったので私を家に置いて、普通に仕事に行ってましたし、「行けるなら行けば?」みたいな。本当に、そんな空気感でしたね。
りら:でも、それってすごく大事なことだと思うんです。親からすれば、過剰に対応したくなるんですよねきっと。「学校に行かせるにはどうしたらいいか」とか。でも、親が仕事に行っているからこそ、子どもが精神の安寧を得られる部分って、特に中学生くらいだと絶対あると思うんです。
ゆき:本当にそうですね。時間が解決するところもありますし。渦中にいると難しいんですけど、経験して今大学にいる人間からすると、「ちょっと落ち着いて、時が過ぎるのを待ってみたら?」と言いたくもなります。
不登校は「休養期間」。居場所はどこにあってもいい
アメーバ:ちょっといいですか。ロールモデルがないっていう話、ある意味で当たり前のことだと思うんです。そもそも不登校という言葉や情報が広く知られるようになったのって、ここ10年くらいの話じゃないかなと。私の5歳上の姉が不登校になった時は、情報が全くなかった。でも私がなった時には、Webサイトとかがすごく増えていた。その差が、たぶん2~5年くらい。だから、今やっとその世代が社会人になって、これからロールモデルになっていく途中なんだと思うんです。
だから、学生のうちにこうやって発信しない限りは、ロールモデルがいないのは当たり前なんじゃないかな。
りら:なるほど、時代的な背景が。
アメーバ:あと、不登校の期間を乗り越えるには、2つの「余裕」が必要だと思ってます。一つは、話にも出た「親の心の余裕」。これがないと、「学校に行け」って言われて、子どもは何もできなくなってしまう。もう一つは、どうしても出てくる「金銭的な余裕」。やりたいことがあっても、お金がないとできないですから。
結局、不登校になる一番の原因って「学校に居場所がなくなる」ことだと思うんです。だから、新しい居場所をどう作るかが大事なんじゃないかな。
りら:居場所作り、ですね。ゆきさんは居場所がなかった時期、何をしていたか覚えてますか?
ゆき:本を読むのが好きだったので、ひたすら本を読んだりとか、本当に好きなことをして何とか精神を保っていました。人と話すのがすごく辛かったので、人間関係は完全にシャットアウトして。私にとって、あの期間は本当に「休養期間」だったんだなって思います。
りら:休む期間、充電する期間って、すごく大事ですよね。その休養期間で本を読んだり、一人でできるゲームをしたりっていう「静」の期間があって、そこでエネルギーが溜まると、今度は「動」の期間になる。マルチプレイのゲームをやってみたくなったり、読んだ本の感想を誰かにシェアしたくなったり。このステップを、周りの大人が理解して見守れるかどうかが、すごく大事な気がします。
アメーバ:大人が「居場所を作る」っていうアプローチも大事だけど、それだけじゃない気もしていて。その子の「好きなもの」と繋がることのできるツールに出会えることが大事なんじゃないかな。私の場合は、それが『Minecraft』(マインクラフト)。誰かに繋げてもらったわけじゃなく、家が私の居場所で、Minecraftが世界と繋がるツールだった。
だから、物理的な「プレイス(場所)」に繋げるというよりは、その子の「心の置き所」を探す手伝いをする、という方が近いのかもしれない。それがスポーツでも、ゲームでも、何でもいいと思うんです。
りら:「繋げる」んじゃなくて、「繋がる」は大きなキーワードかもしれない。僕も中学生の時、スマートフォンゲームの『クラッシュ・ロワイヤル』でクラン(チーム)を作って、そこにいた大人たちと話すのが心の拠り所であり、居場所でした。自分の好きなことを通じて、人と繋がる。その繋がりが安心感を生んでくれる。
私たちにできること、発信のその先へ
ゆき:じゃあ、この過渡期の中で、当事者経験者として私たちが何ができるんでしょうか。一人ひとりに居場所を提供するアプローチだと、すごく時間がかかってしまう気もして…。
りら:時間はかかりますよね。即効性があるのは、やっぱり「発信」や「コミュニティ作り」だと思います。根本的な治療には時間がかかるけど、処方箋として安心に繋がる何かは届けられる。ただ発信するだけじゃなくて、「会える」「話せる」「対話できる」ことが、これからの時代にすごく大事だと思っていて。
メディアって、どうしても向こう側の遠い存在に見えてしまう。そうじゃなくて、メディアの向こう側にいた人と話せる、会いに行ける。そういう体験を通して、少しでも「近い存在」だと感じてもらう。読むだけじゃない、コミュニティとしてのメディアのあり方を追求していきたいんです。それこそが、次の時代に必要な居場所であり、心の拠り所になるんじゃないかな、と。
アメーバ:ただ記事を読んでるだけだと、どうしても「遠い存在」に見えちゃうんですよね。すごい起業家も、実際に会って話してみると、意外と遠い存在じゃなかったりする。この「遠い存在じゃない」って感覚を、どうやって発信で伝えることができるか。すごく難易度が高いけど、そこが鍵な気がします。
ゆき:物理的な場所じゃなくて、「心の置き所」っていう視点はすごく大事だと思いました。今日の話を聞いて、「学校に行かないことは、別に終わりではない」って改めて感じました。学校という場所以外にも、ゲームだったり、良いお医者さんとの出会いだったり、そういう別のルートをたくさん作っていくことが大事なんですね。
りら:僕たちができることは、きっと二つあるんですよね。一つは、今まさに不登校で悩んでいる子の親を説得すること。もう一つは、その子の心の拠り所を作ること。僕たちがやりやすいのは、後者。情報発信という「処方箋」を出しつつ、その先の「薬」になる心の拠り所を与えていくことなんじゃないかな。
今日、この場で話したことで、僕たち自身も次に取り組むべきことが見えた気がします。誰かの心の拠り所や希望になる場を、これからも作っていきたいですね。
ゆき:私も、この数年間、人と関わることがほとんどなかったので、こうやって話す場を設けてもらえて、すごく嬉しかったですし、たくさんの気づきがありました。本当にありがとうございました。